カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
托鉢の雲水によりよく知られている梅林寺へ出かける。1月ほど前、托鉢僧が
玄関口に置いていった案内に従ったわけで、13時と早とちりして法話の寺へ、 臨済宗の梅林寺本堂にて行われたのは『総供養大施餓鬼会』とされるもので、 法話は「請う其の本を努めよ:幸せの条件」とある。 12時に始まった法話は半分を過ぎたところから聞いたわけで、椅子席は既に ふさがり広い畳の中央寄りに正座して聞いた。托鉢の雲水として町角を歩き、 そこで見たものは僧の心得を超えて教えられることが多く、また庶民の姿だっ たという。照明の無い広々とした本堂は正座して落ち着く柔らかい畳だった。 門口で唱える声に反応しない家の主からある日教えられたことは、托鉢僧の 扱いを知らない主婦は雲水の唱える声に反応してお経を唱えていたという。 家に家人の姿を見ている雲水は、隠れたように家に閉じ籠り玄関へ姿を見せ ない家人の思惑をある日知る。その不思議の氷解は民の祈りだった、という。 脳性マヒの子の誕生と、その不幸を抱えた親の話、そして子供の無垢の心が 紹介されて、その無垢のままに生きることを目標とした大人の話となる。 幸とは、自分自身の心の在り方で自身の本来の姿を表している。あるがまま の心になって1日1日を一生懸命に生きる「其の本を努める」ことだと説く。 「柳は緑花は紅 真の面目」卒塔婆の言葉を、法話は紹介して、解説をする。 この春の季節に相応しく、みずみずしい緑色の季節、そして紅色の美しい花、 自然のあるままに生きてこそ最も美しく、心も晴れて美しくなれる、とは超俗 にある人の言葉、やはりそうなんだろうか、この生き辛い世にあって、とは私。 本堂の中央を挟んで参会者は向かい合い真ん中に位置を占める僧侶たち。 本日の講和に在野の住職が10名ほど、また雲水がやはり10名ほど集い 梅林寺住職を中心に『大施餓鬼法要』が始まる。私は隣り合った人に尋ねる。 太鼓がリズムを付けて響き鐘が鳴り、木魚がボーンボーンと深い音で鳴る。 僧による比較的意味の聞き取れる速さと内容で、漢文の読み下し文が朗詠 される。住職による解説が続くが、「黄檗」という言葉がたびたび出てくるも、 この臨済宗の周辺の話なのだろうと類推するままに話は進んだ。継続して 続けられた宗派の僧たちの勉強会であると、隣人の説明を聞く。 それはこの寺で400年間続いてきた儀式である。僧は称名と呼ぶ経を唱え、 僧は倒置と呼ぶ行為・頭を畳に擦りつけ祈る。いずれも訓練された僧による リズムに乗った一連の動作である。ここでも鐘が鳴り、木魚が重い音を奏で 儀式は徐々に佳境へと向かう。禅宗の抑揚だろうか妙に音楽的だった。 圧巻は、全員による読経と住職を先頭に僧や雲水たちによる本堂の行進で ある。参会者の見守る中を畳の縁を踏まないジグザグの行進はリズミカル で軽やかな解放感をもたらしてくれる。隣人が上海の寺で見た儀式と全く 同じものだと云い、中国伝来の仏教と付け加えた。 「三界萬霊等」と記した祭壇には、根もの葉もの、そして米と水、たらいには ウナギが供えられ、僧や雲水に続いて参会者全員がお参りして香を焚いた。 見よう見まねで最後列に続く私に、雲水は「米に水をかけて」と口添えをして 儀式を教えた。不思議な儀式だった、と感想を抱いて寺を去る。 秋には、文化センターの美術館で400年を記念した『梅林寺展』が開催予定 と住職は話を締めくくった。法話と雲水2名の入学始業式を兼ねた開講式、 そして萬人講に参加した半日だった。筑後川縁の眺めは雲のない晴の一日、 香を焚いた本堂で格式の高い儀式、雲水の清々しい美しい読経の声だった。 その夜、インターネットで検索した臨済宗の社寺には久留米で10ケ寺があり 朝日寺もその一つだった。中国を経て伝えられた仏教は、先祖の供養に尽し 迷いある人生に生きる方便を教え導いたものだ、と当然の結論を得た。
by yilai3
| 2008-04-15 20:47
| まほろば
|
ファン申請 |
||